靴下作りの技術はいつ
どこで発祥したのか

靴下のはじまり

靴下は爪先から脚部をおおう衣類で、編物で作られている。
その編物の技術はいつごろ、どこで発祥したものであろうか。技術の歴史はその記録も少なく、保存されている製品もまれで、その事跡をたずねるのは困難とされている。しかし、1本の糸と1本のかぎ針があれば編目が作れることからすれば、その起源は相当古いものであることは想像できる。考古学的には、紀元前に作られたと思われる編物の一部が発見されている。
エジプトのアンチーノの町から多くの織物や衣類と一緒に見つかった靴下や、墳墓から発見された靴下は、編目を増やしたり減らしたりした、完全な編物で作られた指付きの子供用の靴下で、4世紀から5世紀の物とみられる。これらの靴下は、レスター美術博物館、ロンドンのビクトリア・アルバート博物館に所蔵されている。
子供用縞柄靴下
(エジプト・アンチーノで発見。レスター美術博物館蔵)
また、カイロの古代都市の遺跡フォスタットで発掘された7世紀から9世紀頃の編物は、1インチに36目も入っている精巧なもので、エジプトでは靴下のほか帽子も編まれていたらしい。これらの発見は、編物の技術がこの時代からすでにあったことを物語っている。
赤色毛靴下(4~5世紀)
(エジプトの墳墓で発見。ロンドン、ビクトリア・アルバート博物館蔵)
靴下の発展は防寒衣料としての必要性のほか、聖職につく人が足を不浄な大地に付けないために着用し、布教とともに広がっていったとも伝えられている。
手編みが広く普及していたことは、1395年頃の宗教画の中に、4本の木の針で聖なる子供の上着を編んでいる聖母マリヤが描かれいることからも明らかである。(画家はマスター・ベルトラム、ハンブルグのKunsthalle所蔵)
エリザベス女王(1533~1603年)が初めて手編みの絹靴下を履いたとき「もう二度と布製の靴下は履きたくない」ともらされたと、J・ストーの「イギリス年代記」に記されている。このことは編物の靴下のほかに、布帛の靴下も存在していたことを教えてくれる。
エリザベス1世女王が初めて着用した手編みの長靴下(1560)
(モンテーグ婦人より贈られた靴下で、ロンドン郊外ハットフィールドハウスに保存されている)

編機の発明はイギリスの牧師、ウイリアム・リー師

編機は手編みメリヤスが栄えていたエリザベス女王時代の1589年、イギリスの牧師、ウイリアム・リー(Willam Lee.1563~1610)によって発明された。
ウイリアム・リーは、妻が身を粉にして編み仕事を続ける姿を見るにつけ、妻の仕事をもっと楽にしてあげたいとの思いから機械化を決意する。そして9年の血のにじむような研究のすえ、1589年、独創的な手動の編立機械が完成した。
靴下機の起源
(靴下を編む妻を見守るウイリアム・リー<右>、
A・エルモア筆、ノッチンガム博物館蔵)
最初の編機はゲージの粗いもので太い糸しか編めず、1分間に200目を編むものであった。その後改良を重ね、細い絹糸も編めるようになり、1分間に1000目編めるようになったと伝えられる。
ウイリアム・リーは、エリザベス女王に特許を申請したが許可されず、パリに渡りさらに研究を続けたが、イギリス、フランスからはともに賛意を得られず、1610年失意の内に生涯を終えた。
編機と技術は、弟ジェームスと徒弟らに継がれ、イギリスで製造が始められ、順次ヨーロッパ各国に普及していった。
所蔵品紹介
水戸光圀・ジャイアント馬場・川端康成の靴下を紹介
大正13年から昭和4年
昭和5年から昭和7年
昭和8年から昭和10年
昭和11年から昭和12年
古書にみるストッキング
ユニークなソックスを紹介
ユニークなソックスを紹介
靴下の歴史
靴下作りの技術はいつ
どこで発祥したのか
イギリスを中心としたメリヤス業の発展
多様な編機の発明の背景
メリヤスという言葉はいつ日本に伝わったのか